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村杉温泉中心図



村杉温泉むかしばなし

懐かしい湯の街。村杉温泉 670年の歴史

 

大正初期の村杉温泉の杉並木  

 

村杉温泉の開湯は 室町時代

村杉温泉は、新潟駅から車で50分、新潟平野のはずれ、霊峰五頭山の麓に位置する五頭温泉郷の3つの温泉の中の一つ。五頭温泉郷のなかで最も古いと伝えられているのが出湯温泉。空海が霊峰五頭山を修行の山として開山した際に、麓の地面を錫杖で突いたところお湯が湧き出したと伝えられている。開湯1200年の新潟県最古の温泉。

村杉温泉のお湯は、室町時代の建武二年(1335年)に足利家尾張國の浪士荒木正高が、戦乱を逃れて諸国を流浪し当地に足をとどめた際に、七日間連続して薬師如来の霊夢を感じて温泉を発見したという。傍に薬師堂を建ててその後は従者とともにこの地に永住し、植林農耕に励んだ。

また、仏の恩に報いるために薬師堂の参道に松、杉、楓、欅を植えた。これが元となって、その後に杉を更に植林されてから「杉の多い村」として「村杉」と呼ばれるようになった。

 

 

北辰隊長遠藤七郎

 

 

 

湯治が始まった 江戸時代

徳川綱吉が将軍の頃、宝永四年(1707年)、「新発田藩主溝口元候村杉へ湯治」と古い文献にもあり、その頃から近郷の湯治場として人が集まるようになった。 明治8年(1875年)には、明治維新で活躍した遠藤七郎が村杉の湯の効能を認め広く世人に知らしめようと、村人の協力を得て、浴場の改造を計り、その基盤を作りました。

 

 

 

大正時代に ラジウム鉱泉認定

大正3年(1914年)には、新潟医学専門学校(現新潟大学医学部)の教授に温泉の分析を依頼したところ、多量のラジウムが含有されていることが明らかになった。大変貴重な泉質として一躍有名になり、婦人病にも効くため、子宝の湯としても親しまれるようになった。

 

ラジウム鉱泉認定記念写真

  

 

 

大正〜昭和 共同浴場前には
湯治のための市場がたつ

ラジウム温泉の薬効が広く知られるようになり、1ヶ月以上の自炊湯治の利用が多くなり、共同浴場の周囲には、食料品を扱う市場ができるようになりました。

 

 

 

 

 

乗合自動車を運行開始

大正8年(1919年)7月には、15軒の旅館主らが村杉温泉乗合自動車組合を設立し、6人乗りフォードを走らせ、県下でも珍しく大変な人気となった。
戦後景気が到来したこの年には、東京でも乗合自動車営業が開始され、新潟県では最初の乗合自動車で、毎日6往復の定時運行、料金は、水原〜村杉間は85銭だった。

フォードがアメリカでT型の大量生産を始めたのが1908年。ニッポンの国民車スバル360が誕生したのは、その50年後1958年のことでした。

  村杉出湯乗合自動車

 

 

 

村杉温泉の湯治は
短くて1週間
長ければ1ヶ月以上

村杉温泉は働き盛りの家族連れに人気の湯治場として知られ、避暑、避寒に別荘のように過ごしていた。

 

 

 

 

村杉共同浴場
昭和十年頃の料金は、上客 6銭

共同浴場はヨバ(湯場)と呼ばれており、浴室は2つに別れていた。
上客はタイル張りの「一之湯」を利用し、入浴料は6銭。 並客はコンクリートの「二之湯」へ。料金は2銭。
入り口もそれぞれ別になっていた。このほかにも、おそらく新潟県では当時初めてであろう「貸切家族風呂」があり、料金は30銭だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日のんびり湯治
ヨバ(湯場)には毎日たくさんの人

大正4年(1915年)には、村杉温泉の共同浴場の周りに、湯治旅館は17軒になっていた。

  荒木興慶   荒木喜左衛門
石原舎 荒木與五兵衛   荒木猶藏
  荒木重治   荒木重作
長生館 荒木善吉   荒木喜蔵
角屋 荒木作太郎 木村屋 木村千代美
材木屋 荒木慶藏 川上屋 川上ウイ
阿らせ 荒木清兵衛   川上録郎
荒木七之請 延生舘 荒木六蔵
菱屋 川上文吉    

 

 

 

大正の頃 村杉温泉のようす 

旅館の設備に至りては、何れも自然の山水を利用し、家屋庭園の結構、瀟洒(しょうしゃ)にて幽邃(ゆうすい)、まことに人をして心閑(こころかん)に体胖(たいゆたか)に、別天地に在るの思(たもひ)あらしむ。

共同浴場は、ラヂウムエマナチオン發見後、更に大いに築造して源泉の附近にあり。最も空氣の流通と採光の具合とに注意し、極めて清潔なり。總じて、本温泉場の風、旅舘は概ね祖先の営業振りを襲ひ、極めて質朴にして、僅かに湯錢、室料(しつれい)のみを受け、飲食の如きは各自の自辧(じべん)に任す。此故に多少の不自由を忍べば極めて輕便(けいべん)に入浴するを得べし。

近來ラヂウム温泉たること世に知れ渡りて、遠きは九州東京より北海道に至る全國の遊子(ゆうし)を引き寄せ、紳士淑女の滞在相次ぐを以って、接待の程度大いに上がりたれども、他に比すれば、猶ほ、遙かに低廉なり。自炊の物資は、概ね水原町より輸入し、山菜河魚(さんさいかぎょ)は、村内のものを以って供給すべし。

 

 

     昭和10年の村杉温泉の広告


 

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新潟県 ふるさとがしのばれる宿 角屋旅館

 

新潟県 五頭温泉郷 村杉温泉
ふるさとがしのばれる宿 角屋旅館
〒959-1928 新潟県阿賀野市村杉4631-1

ラジウム温泉で健康に。 4つの無料貸切風呂 露天風呂付き客室 食事内容も自由に選べます。

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