40年前に、9人の酪農家が始めた、安田牛乳加工処理組合が
ヤスダヨーグルトの起源
阿賀野市安田が酪農発祥の地といわれるのは、旗野美乃里(はたのみのり)が、明治31年(1898年)、当時23歳の時に、林業視察のためにヨーロッパを訪ねた際に、日本人の体格を西洋人並みにするには食生活の改革が必要、なかでも乳製品が大切と考え、帰路に経由したアメリカでカナダ産の乳牛3頭を購入してきた事によります。
これを基礎にして、安田ツベタに牧場を開設したのが、新潟県の酪農の発祥です。
明治43年頃には60頭ものウシを飼育し、ミルク工場を建設し、バターや粉乳、練乳の製造販売を始めました。しかし、進歩的すぎた経営は時流に合わず、ツベタ牧場は長くは続きませんでした。 けれども、飼育農家は安田地域に残りました。
大正期になって、小野里誠助と神田酪農創業者が中心となって、ふたたび六野瀬地区牛乳販売利用組合を大正9年(1920年)に設立し、ホルスタイン種2頭を導入して酪農を開始しています。
昭和62年(1987年)には、酪農家有志が「安田牛乳加工処理組合」を設立して、生乳を原料とした飲用ヨーグルトの生産を始め、その後「ヤスダヨーグルト」という社名に変更されて、新工場建設後に量産化され、新潟空港にきたスチュワーデスたちの間では、クチコミで人気になり全国ブランドにまで成長しました。
40年前、全国的な牛乳の過剰生産で
牛乳を捨てなくてはならなくなった
酪農家100軒 乳牛2,000頭にまで増えた頃に、全国的に牛乳の生産量が拡大し、受給バランスが崩れ牛乳の生産調整が始まった。 決められた以上の乳を出荷することができなくなり、しぼった牛乳を出荷することができなくなり、この時に9人の酪農家が立ち上がり牛乳として出荷できないなら、自分たちで加工しようと組合を設立したのでした。
チーズやバターは乳の一部しか使わないので
まるごと加工できるヨーグルトを選んだ
牛乳1リットルからできるバターの量は、わずか35グラム。 チーズは150グラム。
それに比べて、ヨーグルトは捨てるところがないので、牛乳1リットルで1リットルのヨーグルトができると言われています。
酪農家たちの愛情が、まるごとヤスダヨーグルトになっているのです。 |